愛も、悲哀もまとめてドン! どこまでも大きな大きな表現者。【益山貴司(劇団子供鉅人)】

「子供のようで鉅人、鉅人のようで子供」。大阪発、ハイテンションかつシュール、でも人情たっぷり。そんな独自のパフォーマンスで人気を博す劇団子供鉅人から、代表の益山貴司さん(通称:ボス)が登場! 本サイトのコラムでもお馴染みですね。
今回は弟さんたちと共同生活を送るご自宅にお邪魔して、劇団やお芝居の話を伺うだけでなく、ボス(と、その弟さん??)の個性が爆発しているお部屋の写真もパシャリパシャリと撮らせていただきました! これは必見だ!!

今なお息づく、幼少期の衝動

京王線のとある駅から歩くこと十数分。決して「新しい」とは言えない、しかしながら「古民家」なんて言いたくなるような風情があるわけでもない、何というか「実家感」とでも呼べるようなごくごく普通の一軒家。ここが今日の取材先です。

そこで出迎えてくれたのは、劇団子供鉅人の代表であり、ほぼすべての演目において作・演出を手がける益山貴司さん、通称「ボス」。本サイトで連載中のコラム『家をめぐる』は、個性的な世界観とおもしろエピソード、パワフルなイラストで人気沸騰中です。

「僕は大阪の下町うまれ。ちかくの銭湯でお化粧を落としている大衆演劇の役者さんと一緒になったり、相撲部屋が近くにあったので朝稽古の後のお相撲さんと一緒に朝風呂に入ったり。そんな地域で幼少期を過ごしました。でも、東京の街も気に入っていますよ。人が多いところが好きなんです」

これまた実家感のある茶の間で取材を進めていると、30分ほど経つごとに廊下を歩く足音が2回ひびきました。「おはようございま~す」「昨日は朝まで飲んでいて……」と、それぞれパジャマ姿で現れたのは、ボスの弟であり、ともに同じ劇団に所属する益山寛司さんと益山U☆Gさん。そう、彼らは兄弟3人で共同生活を送っているのです。

「大阪から東京に劇団ごと移住してきたのが2015年のこと。その時から3人で住んでいます。僕たちはもともと6人兄弟で家に人がひしめき合っていたので、人が出入りすることに抵抗はありませんでしたね。むしろ、誰か人がいてくれた方が安心だし、チームとして基地となる場所があることは大きいです

ここに来れば誰かいる。舞台道具などの必要なものもある。そういう場所が必要なんです

  • 身体も大きければ、懐もでかい。そんな印象のボス!

そんなボスが最初に演劇の世界に入ったのは高校時代。同じクラスの演劇部の友人に「脚本を書く人がいない」と伝えられたところから、そのキャリアは始まります。しかし彼の記憶の底に眠る原体験は、さらに10年ちかくさかのぼるとのこと。

「小学2年の時、親父に無理やり連れられて観た映画が七人の侍でした。『このテレビ、色がついてない!』とか思いながら(笑)。もちろん作品自体もおもしろかったのですが、何よりたくさんの大人たちがそこにいて、笑っていたり、戦いのシーンで手に汗を握っていたり……その光景が衝撃的でしたね。

大人も子どもも、同じ物語を一生懸命に観ているということに感銘を受けたというか。あの時の衝動が今の創作にも息づいているのかもしれません」

シネフィルだった父や、芸事をこよなく愛した祖母の影響もあり、物語を読んだり観たりすることが好きな少年に育ったボス。小学4年の時にはじめての物語を書き、中学校の臨海学校での出し物のお芝居でも脚本を担当。さらに先述の高校の演劇部を経て、卒業後には自身の劇団を結成します。

「将来的に演劇をやりたいとか、役者になりたいとか、考えていたわけではありません。だからといって遊びだったわけでもないし、でも仕事にしようとも思っていない。あの頃はそれくらいの意識でゆるゆるとやっていました

ただ自分にはサラリーマンはできそうになかったし、何かをつくって発信していくことはとても好きだった。その気持ちだけで、ずっとやっていましたね」

その後、紆余曲折を経て、『子供鉅人』として改めて劇団を立ち上げたのが2005年。そしてその2年後、2007年にさらなる転機となる出来事が訪れます。

「その年にヨーロッパツアーに行ったんです。そこで感じたのは、彼らは表現することと生活が不可分だっていうこと。そのライフスタイルを無条件に良いと思ったわけではないですけど、やはり憧れを抱くようになって。彼らのように生きるのもいいなと

つまり、その時に何となくやっていた演劇をこれからも続けるためには、今よりもっときちんと取り組まないといけないって思ったんです」

子供鉅人の快進撃が始まるのはそこから。定期的な本公演を打ち続け、オファーがあればどんなものでも受けたと言います。賞レースにおいても結果を残しはじめ、関西の演劇界を席巻。ド派手でシュール、ハイテンションなそのパフォーマンスが話題になっていきます。

「我々にしかできないことをやりたくて、船の上で演ったり、家を壊しながら演ったり……。当時、若者があまりムチャをしなくなってきていた時とされていたので、逆に我々のスタイルがウケていたのかもしれません

あの頃は『子供鉅人なら何でもやってくれるだろう』と思われていたんじゃないでしょうか」

  • 3人集まれば、優しいお兄ちゃんの顔に。
  • 大阪人にはお馴染みのアレが、アートに!
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PHOTO by Kaori Nozaki

益山貴司(劇団子供鉅人)

masuyamaa

これまで、子供鉅人のほとんど全ての作・演出を行う。

お化けと女の子に怯える幼少期を過ごした後、20世紀の終わり頃に演劇活動を開始する。作風は作品ごとに異なり、静かな会話劇からにぎやかな音楽劇までオールジャンルこなす。

一貫しているのは「人間存在の悲しみと可笑しさ」を追求することである。

劇団子供鉅人公式サイト

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