わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の移り変わりとともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。

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    久しぶりに雑誌の取材などがあり、ワークスペースを整理したりした。

世界はすっかり、コロナウイルスに覆われてしまった。「ウィズコロナ」という言い方に何となく違和感をおぼえたまま、それでも街に出れば、立ち並ぶ店舗の数だけアルコール消毒液が置かれているし、床にはソーシャルディスタンスを測る足跡のマークがあるし、ビルのエントランスには入館者の体温をチェックするサーモグラフィが設置されている。生活のすべてが、確かにコロナとともにあると、言える。あまりうれしくはない。

緊急事態宣言が発令されているあいだ、カメラマンさんを家に呼ぶわけにもいかず、コラムの連載を二回休んだ。そのあいだに、ミシンの使い方を覚えて服を縫ったり、案の定マスクを縫ったり、炬燵布団をしまったり、あとはカリンバという小さな楽器を買って練習したりしていた。出演するはずだった舞台は上演中止となり、フライヤーやパンフレットのデザインを依頼されていた舞台も無期延期となった。つまり、仕事はなくなり、時間はたくさんあったということだ。

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    曇天とカリンバ

monotologue.tokyo

暇に背中を押される恰好で、自分のブランドを立ち上げもした。これはもともと構想していたことであったけれども、如何せんひとりで考えてひとりで作業するものなので、ずっとダラダラと先延ばしにしていたのであった。ちょうど雑誌の取材を受けたことも重なり、そこにURLを掲載することを発奮材料にして、どうにかその雑誌の発売前日にサイト公開までこぎつけたのであった。(※掲載誌は文末に紹介)

【monotologue.tokyo】
http://monotologue.tokyo

あの感じになろうね

外出自粛期間がつづき、春の服はほとんど出番がないまま夏がこようとしている。季節の変わり目には装いを新たにしたくなるものだけれども、今年はどうだろうか。外出の機会が減り、人に会うこともあまりなくなって、「何処何処へいくのに着ていく服がない!」といった危機はあまり訪れない。けれども、いざ緊急事態宣言が解除され、ぽつりぽつりと約束が増えてくると、やはり欲求がうまれるのを感じた。ふつふつと。新鮮な装いをして外出するときの、あの感じを味わいたいという欲求が。

アクセサリーがあれば大丈夫

わたしはアクセサリーの力を信じている。もともとシンプルな装いがすきで、色数が少なめの、ざっくりとしたシルエットの服装が多い。部屋着と言われても仕方がないような、なるべく体を締め付けないラフな服ばかりを着ている。それでも、そんな恰好に合わせたアクセサリーを付けると、なんとなく、大丈夫になる。ような気がする。大丈夫というのは、大丈夫という意味で、つまりは「街へ出ても大丈夫」「人と会っても大丈夫」という、自らの装いに対して、心が丈夫になるのだ。アクセサリーにはそういう効果があると、わたしは信じている(わたしが信じているだけで、実際は周囲のひとから「コイツ部屋着だな」と思われているのかもしれないけれども、自分で信じられるということが大切だ。なぜならファッションは自分を愛するためにあるので)。だから、新しいアクセサリーを作ろうと思ったのだった。まだまだ大手をふって外出は出来ないし、六月はどうせ、雨ばかり降る。夏になったらもう少しおおらかな気持ちで外を出歩けることを信じて、夏に似合う、新鮮なアクセサリーを作ろう。

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アクセサリーのイメージは、何となく考えていた。monotologue.tokyoのファーストコレクションは「Monochrome Glass」をテーマに、黒・白・クリアのガラスを素材としたベーシックなものを作ったけれども、夏にはやっぱり、色が欲しい。そして、モサモサしたものを作りたい。これは季節など関係なく、ただわたしの気分なのかもしれないけれども。わたしは今、モサモサした、差し色になるようなアクセサリーが、欲しい。

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    monotologue.tokyoは「さまざまな素材で、オリジナルの装身具を作る」ブランドなので、次は何を作るか、日々考えている。

捨てられない「ハギレ」と「糸」

わたしは比較的、ものを捨てるのが得意だ。家をリノベーションしてからはとくに、余分なものを持たなくなった。収納を考えるときにそう決めたというのもある(以前連載していたコラム『正直なすみか』vol.07「すかんと広い78平米の間取りの話」参照)。定期的に断捨離をし、決めた収納場所に収まる量しか所有しないように努めている。けれどもわたしにはどうしても捨てられないものがあって、それは「きれいな色や柄の布や紐」だ。

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いつ、どこで入手したのか分からないものも多い。着なくなった服の「でもここの柄きれいだな」と思った部分とか、舞台で使った小道具の余り布とか、カーテンを買ったときの切れ端とか、そういったものたちをずっと持っている。余ったものばかりでない。わたしは如何せん「ハギレ」に弱いのだ。街の古着物屋、生地屋、100円ショップでさえも、ハギレが売られているとつい手にとってしまう。気に入った色や柄があると、用途も考えずに買ってしまう。捨てられないどころか、積極的に収集しているというわけである。そして、「糸」もそう。3月にマスクを作ったときのTシャツヤーンだって「色が可愛い」という理由だけで買ってあったものであるし、毛糸や刺繍糸なども、気に入ればただ「持っていたい」という理由だけで買ってしまう。そしてただ持っている。これは、そういうものが詰まっているカゴだ。

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名前のないものを作りたい

名前のないものを作りたい、という気持ちがある。名前はついていないけれども、わたしの頭の中にはある。そのイメージを形にするのが楽しい。たとえば「リボン」とか「タッセル」とか。名前があるということは、誰かがすでに完成させているということだし、今の時代では、調べればすぐに「作り方」がわかってしまう。名前も、正しい作り方もない、ただボンヤリ頭の中にあるイメージを、感覚だけを頼りに、自分の気にいる物体に仕上げる。この作業が、わたしはとてもすきなようだ。

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    L字になっているワークスペースの、窓側はガラスフュージングのエリア。(ガラスを扱うときはマスクをつける)
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    とりあえず、ガラスの材を並べて焼成する。
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    ミニ電気炉。本当に小さい。この世に存在する炉のなかでいちばん小さいのではないか。(大きいものが欲しい)

時折、結び目が思わぬ方向にねじ曲がったり、切った糸が思った以上にほつれてしまったりして、それはわたしが当初思い描いていた「可愛い」とちょっと違ったりする。そういうときに「アッ、でも、どうだろう……?」と一度手を止めて考えるのがすきだ。わたしは常々、じぶんは保守的な思考回路をしていると感じていて、それが結構つまらないというか、コンプレックスのようなものがある。だから、わざと雑な工程を踏んで、「偶然」を頼りにしたりする。「偶然」の先には、じぶんの想像からはみ出た「可愛い」があったりするからだ。

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    モサモサしてきた。
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    悪くないけど、
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    なんかちょっと物足りない。
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    ガラスの様子も見つつ。
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    ガラスが溶けている。中は800度くらいになるらしい。

捨てられない「紙」もあった

そういえば、捨てられないものがまだあった。「きれいな色や柄の包装紙やリボン」……この収集癖にもう説明は要らないと思うけれども、ちょうどイメージどおりの、引っ張って結んでも破れなそうな丈夫な紙があったので、それを細く切ってリボンがわりにした。黒っぽい色があったらいいなと思ったのと、迫力がありすぎる大ぶりなバラ柄も、細く切ればよく分からない模様になってちょうどいい。

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モサモサの完成

ボリュームといい、色合いといい、全体的な異素材混合感といい、とてもいいモサモサが出来た。可愛いものを作るつもりが、思ったように具現化できず「ぜんぜん可愛くない!」となることもあるけれども、このモサモサはとてもいい。誰が何と言おうと、自分の気に入るものが出来た、という一点において曇りがないのは、とてもうれしく、こころ踊ることだ。バランスを見ながら、もう片方も作った。

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ガラスのこと

ガラスのアクセサリーを作るようになって数年が経つけれども、今のところ独学であるし、まだまだ全然わからない。ガラスには膨張係数というものがあって、それが異なるガラスを一緒に焼くと、すぐに割れてしまったりする。焼いたあとの冷却が不十分だったときも、割れてしまう。冷めてから、忘れた頃にとつぜんパキッと勝手に割れたりするので、はじめは驚いた。そういうことの原因を勉強して、色々試しに作ってみて、作ったものを自分で身につけながら月日を過ごしてみて、不具合がないかとか、どういうふうに劣化するだろうかとか、観察をして、やっとある程度「大丈夫」と思えるようになった。だから販売を始めたわけだけれども。まだまだ未知の素材なので、もっと研究して、道具も揃えて、自由に扱えるようになりたい。

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    充分に冷ましてからガラスを取り出す。
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    と言いつつ結局、前に作ってあったものを使う……(料理番組方式)
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    接着剤も、これまでいくつか試して、乾いても透明度の高い今のものに決めた(暫定)。
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    乾燥待ち。(カリンバを弾いたり、ごはんを食べたり)
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    試着……
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「MOSAMOSA」試作品第1号、完成!

言っている間に、出来上がった。モサモサのピアス試作品第1号。monotologue.tokyoの夏のコレクションテーマ、「MOSAMOSA」にしようかな。ばかみたいかな。鏡を見ながら「これは……また可愛いものを生み出してしまった……」とぶつぶつ言っていると、カメラマンのつかだふさんが笑っていた。

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曇天の誕生日

ところで、6月10日は曇天の誕生日でした。11歳。フレンチブルドッグの平均寿命は10歳から14歳くらいで、11歳は、もう老犬だそうです。こんなことを書いているとなんだか心臓がスースーする。わたしはもともと犬が苦手で、今もべつに得意ではないけれども(よその犬には体がこわばる)、夫がどうしても飼いたいと言った曇天とは、第一夫人、第二夫人としてずっといっしょに暮らしてきたので、誕生日はお祝いする日なのに、なんだか切ない気持ちになってしまった。生後4ヶ月で家にきて、もう11年もいっしょにいるのだ。すごいことだな、これは。6月生まれの曇天。我ながらいい名前をつけたと思う。来年も、誕生日を祝えますように。

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Photographer : つかだふ(Twitter @tsukadacolor)

雑誌 Hanako 2020年 6月号 に掲載

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雑誌 Hanako(ハナコ) 2020年 6月号 [あの人に聞いた、家での最高の過ごし方]に、Q本かよの自宅でのガラスフュージングの様子などが掲載されています。

中古を買ってリノベーション by suumo

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中古を買ってリノベーション by suumo (2019Spring&Summer)
「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにてQ本家が紹介されています。

https://www.fujisan.co.jp/product/1281693142/b/1845901/

Q本かよ

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俳優/コピーライター/デザイナー
舞台を中心に俳優として活動する傍ら、雑誌、広告でコピーやデザインの仕事を手がけている。
2017年に中古マンションを購入しリノベーション。夫と二人暮らし。曇天という名の犬もいる。