vol.01 文月、七夕。オルスイさんと、手習いごと。

わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の風習とともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。

いつ頃からだろう。たぶん、30歳を過ぎた頃から。七夕がくるたびに、思うことがある。
年に一度、7月7日にだけ会えるとされている、織姫と彦星。ふたりが恋人だったか夫婦だったか忘れてしまったけれども、幼少期にこの話を聞いたときは、なんと切ない、報われない二人なのだろうと思ったものだ。あの頃の一年は、果てしなく長かった。しかし今はどうだろう。一年など、まばたきしている間に過ぎる。「会いたいね」「今度ごはん行こうよ」「仕事が落ち着いたら連絡するね」。そう言いながら何年も会っていない友人や家族のことを、だからわたしは七夕になると考える。会いたいねと言いあいながら、どちらからともなく連絡をして、予定を合わせて、約束どおり本当に会うのは、案外とてもむつかしい。毎年きちんと約束の場所で会っている織姫と彦星は、けっこう偉いと、わたしは思う。

ドウダンツツジの枝を買った

七夕飾りをしようと思って、ドウダンツツジの枝を買った。もちろん、たぶん、間違っている。七夕飾りといえば、笹。笹の葉さらさら軒端に揺れる、と歌う童謡だってある。けれどもわたしは、ドウダンツツジの枝を買った。

そもそもどうして笹なのかといえば、「昔から神聖なものとされているから」とインターネットに書いてあった。天にむかってすくすくと伸び、雪や風にも耐え、そよぐ音はさらさらと神秘的である、と。なるほど。そんなことを言うならば、ドウダンツツジだって、枝を分けながら広々と伸びていくさまは頼もしいし、春には可憐な白い花を、夏には瑞々しい緑の葉を、秋には真っ赤な紅葉をみせる、じゅうぶんに神秘的な木だ。じゅうぶんに互角。格差なし。合格。部屋のインテリアにも合うし、何より、この季節には近所の花屋で売っている。

枝ものを挿せるような大きな花器が家になかったので、花屋のお兄さんに「それは売ってないんですか」とディスプレイ用のガラスの瓶を指さすと、「中古でよければ」とその場で洗って安く譲ってくれた。

ドウダンツツジの枝を買った

七夕飾りの、5つの色

七夕飾りには、決められた5つの色がある。 赤・青・黄・白・黒(紫)がそれで、これは中国の「乞巧奠(きこうでん)」に由来している。そもそも七夕は、日本の「棚機(たなばた)」と中国の「乞巧奠」が時代とともにごちゃまぜになった風習で、調べれば調べるほどにごちゃまぜなので、もはや本当に、ちょっとくらい笹がドウダンツツジになっても大丈夫なような気がしてきたのだけれども、この5つの色には、古代中国の陰陽五行説で、魔除け、の意味があるらしいので、尊重することにした。

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    5色の水彩色鉛筆で、色を塗る。
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    これを折り紙がわりに使うために、乾かす。

七夕飾りの、紙細工

保育園の頃に、七夕飾りを作ったことがある。折り紙を折って、両端からジグザグにはさみで切れ目を入れていくのだけれども、ぎりぎりを狙いすぎてぜんぶ切ってしまい、わたしは泣いた。細かく細かく切れ目を入れて、広げたときにはさぞや繊細できれいな模様が出来上がるだろうと期待していたのに、自分の器用さを過信したあまりに台無しにしてしまった。切り裂かれ、もう元には戻らない折り紙の切れ端を見ながら、幼少のわたしはこの世界には取り返しのつかないことがあると知り、号泣したのだった。紙にハサミを入れているとそんな記憶が蘇ってきて、よくも覚えていたものだと自分で自分に感心したりした。わたしは昔から、工作がすきだ。

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七夕飾りには、短冊以外にも色々ある。たとえば、提灯、吹き流し、くずかご、投網、巾着袋、などなど。それぞれに固有の願いがこめられていて、わたしは、この五種類の飾りを作ることにした。

  • 提灯(心を明るく照らしてくれますように)
  • 吹き流し(機織りが上手になりますように)
  • くずかご(整理整頓が上手になりますように)
  • 財布(お金が貯まりますように)
  • オルスイさん

とくにいいなと思ったのは「くずかご」で、紙で作ったくずかごに、この七夕飾りを作るのに出た「くず」を実際に入れて飾る、という。そうすると整理整頓が上手になるよ、という、地味な合理性。これがずっと昔から伝えられてきたと思うと、なんだか可笑しい。

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    左から、吹き流し、オルスイさん、提灯、くずかご。

七夕人形、オルスイさん

七夕飾りを調べるうちに、わたしが特段気に入ったのが「オルスイさん」だ。神衣・紙衣(かみこ)という、紙でつくった人形を飾るのはわりとメジャーだけれども、着物のすそをジグザグに切ってびゅいんと伸ばした形が特徴的な、山梨あたりに伝わる七夕人形「オルスイさん」。「オルスイさん(お留守居さん)」という名前もかわいい。お留守番をする、家を守る、という意味があって、七夕が終わっても、紙に包んで大切にしまっておけば、泥棒よけのおまじないにもなるという。オルスイさん、わたしと夫と曇天(犬)の、大切なこの家を、どうぞ守ってくださいお願いします。

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短冊に願いごと

どうやらわたしは、思い違いをしていた。七夕の願いごとといえば、年に一度の逢瀬をたのしむ織姫と彦星が、ご機嫌アゲアゲでどんな願いも叶えてくれる。そんなイメージを抱いていた。けれどもどうやら、違うらしい。

もともと中国の乞巧奠に由来する七夕は、「織姫」こと、こと座のベガが、古くから養蚕や針仕事を司る星とされているのにあやかり、当時の女性のおもな仕事であった針仕事の上達を願うという風習だった。そこから時代をかさねて、日本の宮廷行事とも絡み合い、和歌や習字といった、芸ごと、手習いごとの上達を願うようになった、と。なるほど。なるほど。

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さらに時代はすすみ、今はもう、短冊には何でも「願いごと」を書いていいという感じになっている。それはべつに、いいと思う。願うだけなら自由だ。けれどもわたしは強欲なので。願いごとは、叶えたい。なるべく由来に近いほうが、なんとなく、叶いそうな気がする。だから、あれが欲しいとかこれが欲しいとかではなく、ちゃんと上達を願う言葉を、短冊には書いた。

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七夕、たのしかった

七夕、たのしかった。7月中は飾っておこう。友だちが遊びにきたら、短冊に願いを書いてもらおう。全員の願いが叶うように、ドウダンツツジは、3日に一回、水をかえる。と、ひと月くらいはもちますよと、花屋のお兄さんが言っていた。

ずっと枝ものを飾りたいと思っていたから、この機会に花器ごと買えてよかった。ドウダンツツジがおわったら、なにを飾るか調べてみよう。近所の花屋から、大きな枝を抱えて道を歩くのは、すこし恥ずかしいけれど、なんだか特別なことをしているような誇らしい気持ちにもなるので、おすすめです。

それでは、また葉月に。

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Photographer : つかだふ(Twitter @tsukadacolor)

中古を買ってリノベーション by suumo

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中古を買ってリノベーション by suumo (2019Spring&Summer)
「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにて紹介されています。

https://www.fujisan.co.jp/product/1281693142/b/1845901/

Q本かよ

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俳優/コピーライター/デザイナー
舞台を中心に俳優として活動する傍ら、雑誌、広告でコピーやデザインの仕事を手がけている。
2017年に中古マンションを購入しリノベーション。夫と二人暮らし。曇天という名の犬もいる。